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第二章 権利ビジネスの崩壊
アプリケーションソフトは「道具」だ
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スペースインベーダーが流行っていたころ、任天堂の山内溥社長(当時)は、「ゲームに特許は認められない。一部の会社が独占せずに広く公開すべきだ。独占しないことがゲームを発展させることになる」と発言していた。そういっていたのは、任天堂がスペースインベーダーと同様のゲームを開発販売していたからからで、今となってはそういうことは口が裂けてもいわないだろう。それは立場が違うから、そうなるだけであって、権利を持つものは権利の拡大と保持を訴えるし、権利から疎外されれば保護するのではなく公開することを望む、という人間の業であるに過ぎない。
いずれにしても利害関係の発生する発言は、色眼鏡であることは確かである。こうした場合、やはり大義名分で考えるべきで、アプリケーションソフトを保護したほうが、世の中の為になるのかならないのか、あるいはその業界が進歩するのかと言う点で考えるしかない。
誤解されては困るが、私はアプリケーションソフトは法的には保護されない、と言うことを言いたいわけではない。おそらくその判断は裁判所で行なうしかないものだから、今そういう裁判があれば間違いなく、アプリケーションソフトであっても著作権は認められるはずである。私はアプリケーションにソフトの権利を認めるべきではないと言いたいわけではないのだ。いまの世間の理解ではコンピュータプログラムは著作権の権利が及ぶ範囲にある。
ただし所詮は道具でしかないアプリケーションソフトを、届け出を行なうことなく50年もの長い期間保護することが、コンピュータの進展のために果たして正しいことなのだろうか、と言うことなのである。この点は再考の余地がある。より多くのアプリケーションが開発されていくためには、当然その権利は保護されるべきであって、ある一定期間保護したほうがいいのだが、もっと短い期間の保護で十分であろう。
どのようなアプリケーションでも10年も経つと間違いなく陳腐化する。もちろん10年経っても現役で動作しているものもあるが、その時点で業界の最先端であることはまずありえない。つまり実質的にはほとんど価値はない。だから10年後には、そのアプリケーションソフトの権利を守ることはほとんど意味がない、というより、コンピュータの進化を推し進めるには、10年前のアプリケーションソフトは使わないほうがいいのである。
しかしもっとも進化を進めるには、保護期間をもっとも短くするほうがよい。たとえば5年程度にする。どのようなアプリケーションも5年経ったら、ユーザーレベルで自由にコピーできるようにする。もちろんソースコードの利用を制限したり、他社が自由に再販売はできないようにするにしても、複製して個人が道具として使うのは認めることにする。
そうなるとどうなるだろうか。古いソフトが誰でもただで使えるようになるわけだから、コンピュータを使うユーザー層は間違いなく拡大する。いまでも実質的にプロテクトに値する高価格のアプリケーションソフトは限られているから、古いソフトは古いままで使われず朽ち果てていくことになる。
しかし反面ソフトウェアベンダーは新しいソフトが売れなくなる可能性がある。それは困ると言うだろう。しかしその分だけ、バージョンアップしたソフトにユーザーが欲しくなる新しい機能をどんどん付加していくのである。もし古いソフトが価値あるものであれば、ユーザー層の裾野は間違いなく広がる。そうして広がった中から、新しいバージョンにお金を払ってくれる新しいユーザーを獲得できる可能性も広がるのである。
新しいバージョンにお金を払ってもらうためには、当然それ以上に役に立つ機能を追加し、アプリケーションソフトをもっともっと便利にしていく必要が生まれてくる。もちろんそのためにはベンダーが切磋琢磨しなければならない。いずれにしてもバージョンアップして貰うためには、より便利になり魅力的にならなければ、既存のユーザーはアップグレードしないわけで、アップグレードして貰うためには、高機能高性能で使いやすいものを目指していくしかない。そうなると、裾野は広いほうがよいので、古いバージョンはフリーであるほうがビジネスチャンスは広がるのである。
いまでもアプリケーションソフトビジネスは、新しいソフトを開発することよりも、それをバージョンアップして継続して使用するほうが比重は高くなっている。しかし「創業は易く、守成は難し」の諺とおり、継続してバージョンアップフィーを得ることの方が難しいかもしれない。しかし、バージョンアップされないのは、その内容に魅力が足りないのか、あるいは説明が十分でないのかのどちらかであって、もし、十分な機能アップがあり、それをユーザーが理解していれば、むしろ古いバージョンはフリーソフト化しているほうが新しいバージョンは市場に受け入れられ安くなるに違いない。
もちろんこういったことはベンダーサイドでできることで、何も法的に明確にしなくてもよいのであるが、法的に短い保護を明確にしたほうが、アプリケーションソフトに関しては、著しく進歩が進むはずである。絶えずより良いものを目指していかなければならないわけで、過去のソフトウェアという既得権益にしがみつけない以上、ソフトウェアの進歩は加速度的に進むはずである。
基本的にアプリケーションはソフトは、「道具」であって、権利の対処は特許と同じでよい。新しい技術を保護するためではなく、新しい技術を一定期間保護することで、それを公開し、技術の進化を促進させるものと捉えればよいのだ。
ただしアプリケーションソフトは進展はすざましく早いので、保護期間はせいぜい5年程度が適当ではないだろうか。5年だとだいたい二世代まえのバージョンなので使用権をフリーしても、それほど問題ではないに違いない。
アプリケーションによってはもうこれ以上改良の余地がないというものもあるだろう。しかし時間がたてばOSのバージョンも変わっていくし、デバイスの仕様も変わっていくから、何時までも古いバージョンが使えるわけではあるまい。もしそのときにソフトに価値を認めるのであれば、そこで商売は生まれる筈である。
コンピュータプログラムに著作権はあるか、言われれば、あるものとないものがあると言うべきだろう。そしてプログラムの性格によって、知的所有権の保護の方法も変えていくべきではないかということだろう。
(1999/12/03up) |
「DTP-Sウィークリーマガジン 第25号(1999/06/15)」掲載
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