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インターネットが「バーチャルや」なとどいう奴は、きっと真剣にインターネットにはまりこんだことがないに違いない。ホームページで展開されるものは、確かに0と1でできていて、実体がないといえなくはないが、といってもブラウザを通せばそれは間違いなく「リアル」なんである。
「DTP-S」が仮想のものなどではなく、「現実なんや」と、体感し始めたのは、公開後約半年のことだった。「現実」というのは、世の中に本当に影響力を与えるもののことだ。
半年を過ぎた10月の後半に「DTP World誌」からメールがきた。11月発売号で「DTPイエローページ」という企画があるので、そこに「DTP-S」を掲載したいということだった。
「やったー、やっとDTPの専門誌も認めたくれたやないか」
認めたのは、その存在だけかも知れないが、そうやって関心をもって掲載してくれるのだから、内容にそれなりの価値があると判断したからであろう。もちろん一も二もなく、「大歓迎です」と返信をし、発売日を指折数えて待つことにした。どのくらいの大きさで掲載されるのか、どういうコメントがつくのかを思いめぐらせながら、つくづくやっててよかったと思った。
DTP
World誌の11月発売号は、11月13日に書店の店頭で見つけ、すぐさま購入。該当ページを探した。DTP World「師走の5号」、36ページに「DTPお助け便利ノート」にDTP-Sのトップページのショットがカラーで印刷されていた。
「載ってるやんけ、スゴイなあ」
AppleやJPC、JAGATなどページと並んで、わが「DTP-S」も掲載されていた。いつも購読している雑誌にこうしてカラーで掲載されるのを見ると、身体がジーンとなってきた。
実はその少し前に、GordianKnotの創刊号ができたとき、主要のMacintosh関係誌、DTP専門誌などに創刊号を送ったのだが、どの雑誌もなしのつぶてであった。どこも忙しい編集部に勝手に同人誌まがいのものを送り付けて、何からのリアクションがあると考えるのは、あまりに強欲だとは自分でも思っていたが、取りあえず、ものは試しで送ってみようと送り付けたのだった。
発送後のどの雑誌からもなんらリアクションはなく、「やっぱり、駄目やった」とあきらめかけていたとき、なんとDTP World誌は、「DTP-S」の紹介だけでなく、GordianKnotの紹介もしてくれたのである。ありがとうございました。
しかし11月の最大のクライマックスは、DTP World「師走の5号」を見る少し前にやってきた。それは忘れもしない(もちろんメーラーがという意味だ。もちろん私は過ぎたことはすぐに忘れるようにできているので、11月の半ばだったということは覚えていたが、何日ということまでは覚えていなかった)11月11日だった。なんと「執筆のご依頼」というタイトルのメールがやってきたのである。
それが今回「標準 DTP出力講座」の編集していただいた翔泳社の寺田さんからのものだった。
寺田さんのメールには、DTPで書籍の編集に携わるなか、思い通りに出力できないことがあり、出力のためのガイドラインになるような本があれば、デザイナーも編集者も大いに助かるに違いない、そういう人たちのために「安定した思い通りの出力結果を得るための解説書」があればいいのではないか、と書かれていた。
「『Illustratorお茶の子サイサイ』は、単なるIllustratorの解説集・Tips集ではなく、何について触れるにしても「出力」が必ず視野に入っており、語り口が非常にわかりやすいです。おそらく視座のぶれがないため、何をどう伝えるか、ということがご自身でも明確になっており、ひいてはそれが読み手にとっては「読みやすい、わかりやすい」ということにつながるのだと思います」
そしてDTPの出力については出力の現場を知っている人でなければ、やはり書けないのではないだろうとあり、「DTP出力講座(仮題)」という内容で執筆して欲しいと締めくくってあった。
うー、嬉しい。ここまで理解してくれたのであれば、DTP-Sの使命は達成された。もう、思い残すことはない。DTP-Sを公開した目的は十分達成されたのである。
私が望んでいたことは、正確には「Illustratorお茶の子サイサイ」を出版することであったが、たとえそれが一から書き起こすことであっても、私がいままでDTPで仕事をしながら、培ってきたこと、工夫してきたこと、失敗して覚えたことなどを一冊の本としてまとめるチャンスにめぐまれたという現実は間違いないものだった。考えてみれば、DTP-Sを公開してたった半年で、実現されるとは、インターネットが仮想などではなく、紛れもない現実である証であった。しかも、これほどスピーディなものは他にはないいってもいいだろう。
もし、私が『Illustratorお茶の子サイサイ』を持って出版社めぐりをしたとしても、これほど速く結果はでなかったに違いない。仮に翔泳社に行ったとしても、寺田さんに会えたがどうかはわからないし、会えたとしても、そのときにそういうテーマに強い関心があったとは限らないのである。
「執筆のご依頼」メールには4日後にはサーバの移転のため、一時停止になるとあった。私は即座に返信メールを送ろうと思ったのであった。
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このコンテンツは1997年9月9日に書かれたものです。 |
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