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レイアウト作業とはいいながらも、足りない原稿は書き足していたし、台割を考慮してレイアウトをしていた。この章では何ページ必要かとか、もしこの章で書き足せないときは、前の章か後の章に振るしかない。それでもページが半分くらい空いてしまうと、コラムを書いてそこを埋めねばならないのだ。つまりレイアウトしながら補筆しているわけである。単純にレイアウトするだけであれば、時間を読むことはそれほど難しくはないが、足らないところを書き起こしていると、レイアウトが完全に終了する時間を読むことはできなかった。もちろん補筆する内容はほとんど頭の中にあったとはいえ、スクリーンショットをいちから撮ることも珍しくなく、そのうえIllustratorで図版を書き起こさなければならないこともあった。
ページ数は概ね300ページ弱、これを1ヵ月で行なうことを目標にすると、単純計算で1日10ページということになる。しかし当然本業が忙しくて全く作業できない日もあるし、休みの日もある。それを計算にいれると、1日20ページというアベレージを叩きださないといけないだろう。そのぐらいのペースでも最終的に1日10ページできればいいところである。
QuarkXPressでの作業はそれほど難しくはない。いままで全く使っていなかったわけではなく、基本的な操作はわかっていたので、マスターページとスタイルシールさえキチンと作り込んでおけばあまり問題はない。のちのちページを増やすときも、右にある大見出しが左に来てしまうとややこしくなって作りなおさなければならないが、そういうことがなければいいわけである。またそういうことのないようにページの構成を考えていくしかない。そしてあとは本当に黙々とテキストを流し込み、画像を貼り込み、プリントアウトして確認するだけである。
こういう状況になれば、当然休みなんかあるわけないじゃない、という話はなくもないが、せめて日曜日くらいは休まないと、身体が持たない。いや身体だけではなく、精神的にも持たない。平日は夜遅くまで、土曜日はほぼ前日費やして作業を行なうにしても、日曜日くらいは頭を切り換えてリフレッシュしたかった。それにまだまだゴールは見えていないのだった。
しかしいま思いだしてみると、こういう状況のなかで、私はDTP-Sの更新を怠っていたわけではないし、Gordian Knotも新装した5月号を5月28日に、次の7月号を7月3日に発行している。Gordian
Knotだって、概ね既に書いた原稿を使って編集するとはいえ、新たに書き足す原稿もあったし、レイアウトも私ひとりで行なっているのだ。ただ新着情報のみが更新をやめ、[6月][7月][8月]はそのページがない。だからといって更新の頻度が大きく下がったというわけではない。自分にいうのも変だがよくできたものだ。かなりテンションが高かったに違いない。レイアウトをしながら、できあがったGordian
Knotを寺田さん宛に送っていたが、寺田さんの方も、忙しかったのか、余計なことをしないでレイアウトに専念して欲しいというようなこともなかった。
目標1ヵ月といいながらも、結局作業は6月の末一杯まで費やしてしまった。都合1ヵ月半かかってしまった。この時点では目次や索引などは作られていないので、実際に作ったページ数は260ページくらいか。そしてこの時点では、総ページ数288ページということに固まりつつあった。
これでチェックバックを受けて内容を手直しし、目次と索引を作成すれば、全て終わる。うまくいけば8月には書店の店頭に並ぶのではないかと思った。ようやくこの頃になって、私の書いた本ができるのだ、書店に並ぶのだという実感がひしひしと感じられた。昨年の11月11日のメールから数えると、8ヵ月を費やしてやっとようやく少しは気持がゆるんできたようだ。3月にゲラ原稿を書き上げてから、そのチェックバックが返ってくるまでの空白の1ヵ月の間、なんども「今回もひょっとしたら駄目かもしれん。二度あることは三度あるという諺も、三度目の正直という諺も、いずれにしても二度目は駄目よ、といっているではないか」と思ってみたり、「いやいやここまで来て、オシャカになることはないはずだ、先方にだって出版のスケジュールがあるもんな」と何度も自分に言い聞かせたこともあった。
もちろん最初の「Adobe Illustratorお茶の子サイサイ」は持ち込みだから、出版社の都合で出版が取りやめになることはいたしかたがない。ただ癪にさわるのは、駄目になったことがわかった時点で連絡してこなかったことだ。こっちにだって都合があるのだから、はっきりした時点で連絡するのが礼儀というものではないのかと思う。持ち込み原稿だから、どうでもいいという姿勢があったのかどうかは知らないが、その点だけは納得できないものがある。
まあでももしあの時「Adobe Illustratorお茶の子サイサイ」が本になっていたら、上高地仁という名はそれで終わっていたかも知れない。あの時、駄目だった結果だけを抱きしめていず、あれをバネをWebを続けていたから、いまのDTP-Sがあるのだし、出版の依頼を受けても、それほど怖じ気づくこともなくホイホイと受けることができるのだ。「Adobe
Illustratorお茶の子サイサイ」を書いていた頃は、1ヵ月に原稿用紙換算で30枚書くだけでヒイヒイいっていたから、そのときもし、いちから書き起こしてよ、といわれても到底書き上げることなど不可能だったに違いない。それに、いままで書き貯めてきたものがあるからこそ、「標準 DTP出力講座」も「イラストレータ実戦マスター」も筆(入力)が止まることなく書いていけるのであった。(未完)
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このコンテンツは1998年2月3日に書かれたものです。 |
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