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予想どおり、第2章はてこずった。10日で章ひとつ書き上げるはずが、約半月を費やしてしまった。しかも完全には書き上がっておらず、予定していた内容からいうと、歯ぬけであった。
とはいっても歯抜けの部分を書こうとしても、アイディアがないのではどうしようもない。原稿を書くといっても、書くテーマが決まっていたからといって書けるわけではない。どういう切り口で書き始めて、どこがこのトピックのポイントなのかをはっきりと掴んでいないと、書き出せないのである。その上どういう図版を入れるのかまでを、ある程度イメージできていないと、書き出すのは難しい。
というようなことを考え思いあぐねていると、いつまで立っても進まないので、第2章の残りはあとで書くことにして、第3章に進むことにした。
寺田さんに第2章の原稿を送ったのは、12月27日であった。第2章は理屈の話なので、図版を入れること難しく、テキスト原稿のまま、メールに添付して入稿した。
ああしかし、もうすでに予定よりかなり遅れてしまっている。この調子では第3章を12月中に書き上げることはとっても出来ない相談だ。しかし正月休みの間には何とかしたいものだ、と思った。
いままでは原稿は会社で書いていた。書いていたのではなく、打ち込んでいた。下書きなどは通勤の電車のなかでできるし、考えるのは仕事中であろうと、食事中であろうと、いつでもできるのである。しかし入力はそうはいかない。仕事中の合間や定時後にするのである。といっても私は営業だから、定時などない。忙しいときと忙しくないときがあるだけだ。だから忙しくないときに、打ち込むというのが本当のところだろう。営業マンが暇になったら、喫茶店に入って一服したり、パチンコしたりする代わりに、私は原稿を入力しているのである。
しかし、正月休みになると、家で下書きだけをするというのは、効率が悪い。できたら家でも原稿を入力する方がいい。下書きといっても走り書き程度のときもあるので、原稿のイメージが明確なうちに文字入力をしておかないと、やっぱり忘れてしまうのである。だから忘れてしまわないうちに、打ち込んだほうがいいのである。
そうなると、自宅にもMacintoshが必要だ。何とか安く手にいれる方法はないかと考えたが、ただというわけにはいかない。どこぞ知り合いの事務所に転がっている古いMacintoshを譲り受けで使うという手もあった。探すと使っていないsiとかciとかがけっこうあるのである。しかし、メモリを買い足したり、モニタを別途用意するなどとなったら、思いのほかお金がかかる。あんまり古いとメモリが手に入らないことすらある。中古を買うという方法もあったが、結局自宅にあれば、私ひとりが使うというわけではなく、最終的に子供が使うことが多くなるだろう。それはそれでいいのだが、子供たちが使えるようにするとしたら、やっぱり新品を買うしかない。新品といっても、最初からソフトがてんこもりのPertformaを買うしかない。
もちろん本が出版されて印税がガバガハ入ってくれば(ガバガハということはないだろう。チョロチョロ入ってくるぐらいか。もっともこれを読んでいる皆さんが周囲の人たちにたくさん買わせてくれると、ガバガハに近づくかも知れない。といってもベストセラーらなるという本ではないもんな)、Pertformaの購入代は必要経費であったのだ、と納得できるのだが、いかんせん「お茶の子サイサイ」の出版を途中で取りやめた本郷3丁目出版社の件もあり、絶対にお金が入ってくるという安直な考えはできなかった。ひょっとすると、依頼を受けた私が途中で音を上げてしまい、物にならないということも絶対にないともいえなかった。
育ち盛りの子供が三人もいると、パソコンなどという全然耐久でない消費財を簡単に買うわけにはいかないのである。ましてや、毎日仕事でモニタの前にいるのに、家に帰ってまでも触りたくはないという気持もあった。
しかしここは背水の陣で取り組むためも、やはり買わねばなるまい。そう、一番安いPertformaを。
二三あたって調べるとそのとき一番安いPertformaは5260で、梅田のT・ZONEにあるPertforma5260がもっとも安そうであった。メモリを32MBにしてEPSONのMJ-500とTVチューナーを付けて、148,000円であった。TVチューナーはいらなかったが、セットだから仕方ない。本体だけだと、128,000円だったのだがプリンタはなければ話にならないし、メモリも出荷時の16MBでは足りないのは目に見えている。
梅田のT・ZONEでPertforma5260買うことに決めた。もちろん試しに値切って見たが、駄目だった。31日だったら値切れたかも知れないなあ。27日だったためだろうか、T・ZONEは強気だった。
正月休みには、自宅で第3章を仕上げるぞ、と意気込んでPertforma5260を持って帰ったのであった。 |
このコンテンツは1997年10月14日に書かれたものです。 |
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