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●デジタル化はもう戻れない、戻せない
先日友人のデザイナーから聞いた話だが、未だに印刷のDTP化反旗をひるがえす印刷会社があるという。
あるショッピングモールの販促の企画で、同じ画像を使っていくつかの印刷物を制作したのだか、全てをDTPで出力できなかったので、印刷物の一部は制作した画像データをポジフィルムに落とし製版し印刷した。ところがMacintoshからイメージセッタでダイレクトに出力した印刷物より、ポジをスキャンニングした印刷物の方が品質がよかったという。オリジナルはデジタルデータであるにもかかわらずである。
その結果をみてその印刷会社の営業担当は、「だからデジタルは駄目なんだ」とのたまわったそうである。
品質がよいというのは、どうやら昇華型のプリンタでの出力結果と比較して、従来の製版の方法がそれに近かったということのようだ。昇華型のプリンタの出力を参考にポジをスキャンニングしたので、正確にスキャンニングできたのに対して、デジタル出力は昇華型プリンタとのカラーマッチングが正確に行われていなかったため、印刷時に色が変わってしまったのであろうと思われる。 DTPがオールマイティとはいわないが、一事をもってDTPを一蹴するのはなかなか勇気のいることである。その印刷会社は従来の製版の莫大な設備投資が災いして、DTPへの移行が全く進んでおらず、Macintoshで作成されたデジタルデータは社内ではハンドリングできないようだった。
しかしデジタル化は時代の流れなので、誰にも止めることはできない。いずれ印刷物は全てデジタル化されるだろう。
確かにDTPがまだまだ従来の製版の追い付いていない部分もある。特にカラーポジのスキャンニング技術は、長年の勘がものいう職人の世界である。オフセット印刷と共に永い年月を歩んだ製版の技術はまだまだ奥の深いものがある。ショッピングモールの件も、ポジをスキャンニングしたオペレータの技術が優れていたのであろう。スキャナのオペレータはプリントサンプルをみて正確にスキャンニングしたのである。
この分野の職人芸は、オペレーションを標準化してコンピュータ上でスキルレスでこなせるところまでは進んでいない。しかし、ある程度はソフトウェアで簡単な補正を行って写真を使えるようにはできるのである。印刷物の多くは必ずしもそこまでの品質を要求するとは限らない。むしろそこそこの品質で、ローコストで短納期であればユーザーは納得するはずである。商業印刷物の大半はそういった印刷物である。
今のところ、印刷物のデジタル化は進むものの、Macintoshでプリプレスを統合化しどのような印刷物でも出力できるのかというと必ずしもそうではないようだ。未だにCEPSは健在である。CEPSでしかできないものもあれば、CEPSを使ったほうが効率的な場合もある。ただそのCEPSもだんだんと使用頻度が低くなり、価格ほどのパフォーマンスを得ることは難しい状況のようだ。ある製版会社ではCEPSを画像データの差し替えと、ページ割付にしか使っていないという。もったいない話だ。やはり最終的にはMacintoshで統合化したプリプレス環境が確立されるであろう事は疑う余地がない。 |
●統合化が進むプリプレス
プリプレスとはいうまでもなくプレス(印刷機で印刷すること)の前工程を指す言葉だ。印刷後の後加工はポストプレスという。プリプレスを統合化するというのは、印刷の前工程の部分でいくつかの工程に分けられていたものをひとつの工程で行うことである。それがDTPという工程である。
かつてものづくりは職人が行っていた。職人は材料の選定から、加工、完成までをひとりで行う。加工は多岐にわたり、その全てに通暁している必要があった。ひとつの工程を覚えるだけでも長い修業が必要であったが、職人として立つにはいくつもの工程の技術を身に付ける必要があった。ひとりの職人が高度なものを完成させるには長い時間が必要となり、当然価格も高いものとなった。といっても、それらの職人技の商品を買うのは庶民ではなく、貴族や大商人などの金持ちではあったが。
ところが産業革命がやってきた。産業革命によってものづくりは職人の手から奪われ、分業化され工業化されていった。産業革命が分業化をもたらしたというより、18世紀後半のイギリスに世界の富が集中したことで、イギリス人の多くは裕福になり、物欲がたくましくなったため、ものが不足するようになったのである。いわゆるプチブルの誕生といってよい。そのために職人がものづくりをしていたのでは、生産が間にあわないため、十分なスキルを持たないものが生産に従事するようになった。生産工程は分割化され、効率化が要求された。職人がつくるよりも品質は落ちたが、量産が可能になって、市場にものが溢れるようになった。
そして分業化された工程は徐々にではあるが機械に置き替わり、工場は無人化を目指すことになる。全ての生産が無人化することはないが、「経営努力」はコストダウンのために機械化・無人化を推進することは間違いない。
印刷もグーテンベルグの時代は、きっとひとりの職人が全てをこなしていたに違いない。印刷する紙を用意し、活字を作り、印刷機を動かし、製本も行っていた筈だ。しかし今は、印刷も高度になり、高価な生産設備を必要とするようになって、完全に分業化されている。写植のオペレーターがおり、フィニッシュワークの担当者がいる。スキャナにもオペレータがいて、レタッチマンは暗室で作業する。それぞれが細分化された専門職として技術を磨き、印刷物を仕上げていくのである。
しかし、しかしである。工場で生産されるものが分業化する事よりも、機械化して統合することでメリットがあれば、容赦なく人員を削減しても機械化されていくように、印刷の工程でも、DTP化することでメリットがあるのであれば、DTPによる統合化は火を見るより明らかなことではないだろうか。
プリプレスを統合化するとは、グラフィックデザイナーからアウトプットされたものを、印刷の直前までワンステップで行うということにほかならない。Macintoshを使えば、フィルムまでもしくはプレートまでの出力をDTPワークという工程で、専門的な技術をさほど要求せずにこなすことができるのである。
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●統合化されたDTPのメリット
DTPで統合化するとどのようなメリットがあるというのであろうか。
まず第一に、コストは下がる。
DTPのオープンなところは、機材がリーズナブルなことにある。出力用のイメージセッタやハイエンドスキャナを外部のサービスに頼れば、フロントエンドとしてのMacintoshとその周辺機器やDTPアプリケーションソフトウェアだけなので、これらは業務用ではなく、民生用の機材の価格で手にいれることができる。したがって小規模なスモールオフィスでもDTPの導入は可能で、従来のような大規模な設備投資は必要としない。その結果、固定経費は軽減され、コストは間違いなく低減する。民生用のライトなシステムで写植や製版のレタッチの部分は統合化できてしまうのである。
次に納期が短縮できる。
今までは専門職の担当者がバラバラで作業をし、違う場所にいて作業をしていたわけだが、DTPでは同じデスクトップ上での作業が可能となる。DTPを熟知し、正確にオペレートできるものであれば、制作物を移動することもなければ、オペレータが異なるためのコミュニケーション・ロスも少なくなるに違いない。実質的な作業時間は明らかに少なくなるはずである。
次に考えられるメリットは原稿の一元化である。
デジタルで作成すると、全てはデジタルの信号に置き替わる。全ての原稿は0と1で成り立つので劣化することがない。版下やフィルムは管理コストが発生するだけでなく、保管状態が悪いと傷ついたり一部が剥離したりと原稿が使い物にならなくなることさえある。 デジタルデータであれば、出力した印画紙やフィルム、プレートに瑕疵があったり紛失しても、データさえあればほぼ同じものが再現できる。イメージセッタでの出力では、いまだに現像というアナログの手法を用いているので、出力時の現像ムラは発生するが、これも現像を必要としないドライフィルムの普及によって解決するであろう。
また、原稿が一元化することによって、プリプレスで作成したデータがCD-ROMやインターネットのホームページなどの他のデジタルメディアへの応用が容易になる。
このようなメリットを十分に享受するためには、単なるデジタル化では役に立たない。CEPSなどは専用機として独自のフォーマットで処理を行うため、デジタル化されていてもオープンではない。それらのデータはどこでも使えるという代物ではない。デジタルの共通言語として幅広く普及することは無理である。DTPやDTV、マルチメディアなどのグラフィカルな分野で一頭地をぬいているMacintoshこそが本命であろう。Windowsはビジネスや一般のコンシュマーのマーケットでのシェアは高いが、グラフィックのマーケットではスタンダードではなく、実務能力も劣っている。 |
●デジタル化で混沌とする印刷業界
DTPによって印刷のプリプレスが統合されるとどのようなことが起こるのであろうか。 過去に必要とした莫大な設備も専門的な技能も、DTPのソフトウェアが簡単なオペレーションで作業してくれる。しかも大変安価なシステムに取って替わられる。そのため、従来の版下・写植、製版に携わってきた会社は存亡の憂き目に立たされることになる。すでに写植・版下の業界は壊滅的な打撃を受け、姿を消そうとしている。製版会社もいままでの方法論に固執せずに、業態を変革していかないと生き残れないだろう。
また、大きな設備投資を必要としないので、新規参入が増えることがあげられる。グラフィックのみを行っていたデザインオフィスがプリプレスまでを社内で処理したり、定期的な印刷発行物を持つ企業が内製化を進めたり、今まで印刷とは全く関わりのなかった異業種からの参入があったりすることになる。
デザインオフィスや企業内内製化が進むと、印刷会社の仕事は旨みがなくなってしまう。版下や製版から印刷加工して納品するところまで受注することで利益が確保できていたのに、フィルムを受け取って印刷加工するだけいいということになれば、利益の確保は難しくなってしまう。いまや印刷や加工の部分は成熟した産業なのでそれらの価格は相場が固定しており、独自性を打ち出せない以上、あまり儲かる仕事ではない。印刷部数が多く受注金額が張るといっても、フィルムと用紙を支給され輪転機を回すだけの仕事を受注すれば、付加価値はほとんどなく、「儲け」など出てきようがない。
また新規参入も大企業がニュービジネスとして展開するようになる。最近の例ではNTTプリンテックがデジタルのオン・デマンド印刷機を使い通信で印刷を受注するという。モノクロの印刷物はDocutechを使用し、カラーはE-printを使うという。DocuTechもE-printもニューコンセプトのデジタルプリンティングマシンではあるし、オペレーティングは簡単だ。けれども、Docutecは平綴製本しかできないから会議用資料程度のものしか使えず、コピーマシンと同じようにカウンターがついていて一枚ごとに印刷代がメーカーから請求されるので、印刷部数が多くなると軽オフセットで印刷したほうが安く上がって製本加工の融通もきく。E-printはカラー印刷としては新聞に折り込みチラシにも劣る品質なので、ユーザーにコンセンサスを得るのが難しい。またデータの作成方法には独自のルールがあり(たとえばカラーの解像度は300ppiにするとか)、制作者が正確にオペレーティングしなくてはならない。私見をいえば、通信を使ってDocuTechとE-printで印刷するというアイデアは面白いが、ハードウェアは発展途上だし、日本の通信回線のインフラは貧弱だし、一件あたりの受注価格が小さい分だけ営業マンを付けるわけにもいかず、理解してもらうまでに大変な努力を強いられるような気がする。
しかしいずれ今までとは違った業態の印刷会社が登場し、印刷業界に革命をもたらす可能性は否定できない。デジタル化によって印刷業界の地図は間違いなく塗り替えられることになるだろう。 |
●グラフィックデザイナーの憂鬱
Macintoshにいち早く目を付けたのは印刷会社ではなく、グラフィックデザイナーであった。印刷会社の導入はどちらかというと後手にまわって、デザイナーに急かされてといった感があった。
デザイナーがMacintoshの導入を進めたのは、ひとつにはコンピュータによってクリエイティブの表現力が高めるためであった。ひところはMacintoshでデザインするとワンパターンになって、クリエイティビティが下がるといわれたが、それはソフトウェアのオペレーション能力が追い付いていないだけであって、いまではMacintoshを使って素晴らしいデザインをするデザイナーは少なくない。操作さえ熟達すれば、Macintoshは素晴らしいツールとなりうる。
次にはDTPすることで版下制作を内製化し、外注コストを低減するといった経済的なメリットがあげられる。毎月、写植・版下に支払っていた金額を考えると、DTPシステムのリース代は魅力的であった。
デザイナーのなかには時代に先んじようという想いで、Macintoshを導入した人もいたはずである。あるいは時代に乗り遅れまいとして。
かくしてデザインオフィスのMacintoshの浸透率は70%を越えたという。 しかしこれらのデザイナーがDTPを統合化しているかというと、残念ながら統合化はほとんど進んでいない。自ら作成したデータを正しく印刷加工できるようにフィルムに出力できるデザイナーは僅少といってよい。Macintoshを扱うデザイナーの半数以上が2〜3年以下のキャリアしかないことを考えると、宜なる哉である。単色で印刷するようらものならともかく、構成の複雑なものや多色刷りのものは手に余り、印画紙で出力したものを製版する破目になってしまう。
しかしたとえデザイナーがDTPを熟知したとしても、デザイナーがフィルム出力までをマネージメントすることは難しい。なぜならプリプレスまで行うとリスクが大変大きいからである。
Macintoshでフィルム出力できても、そこまでを受注してしまうと仕事の範囲は拡がるものの、責任範囲は飛躍的に大きくなる。いくらコンピュータが煩雑な作業を肩代わりしてくれるからといって、専門的な知識を要らなくなるわけではない。文字組版についても、PostScriptについても十分な知識が必要となるし、また、印刷・加工するためにどのようなフィルムにするのかという知識も必要になってしまう。
文字組版やPostScriptは机上でスタディできるものの、印刷や加工にまつわる知識は一朝一夕では身に付かない。私も、DTPを始めたころはトンボの分版指定を忘れたり、抜き文字のトラッピングをしなかったため白場が覗いたりしたことがよくあった。
一般的にデザイナーの多くはMacintoshを導入して作業が増えたと感じているようだ。以前は写植や版下、製版も指定するだけでよかったが、Macintoshを導入すると文字組も色も自分で設定し入力しなくてはならなくなる。むろんその分だけ試行錯誤が可能になり、品質は向上させることが出きる。しかしそうした作業を行うのはデザイナー本人なので、作業のミスは許されなくなる。自ら行った作業上で指定を間違えると、その責任はとらされ、フィルムの再出力代や印刷の刷り直し代まで負担しなくてはならないおそれがある。そこまで考えると印画紙で出力したほうが心配がない。
本来であれば、デザイナーだって作成したデータをそのまま入稿したいはずだ。しかし現状ではデータには完全を求められるので印刷加工の知識のないデザイナーは尻込みしてしまう。
デザイナーにとってはデータが完全でなくともほぼ完成されているのであれば、それを入稿すると印刷物になることが望ましい。たとえその部分に多少の費用が発生しても、どのようなデータも確実に出力し、印刷・加工しても問題のないようにハンドリング出きる受け皿が欲しいはずである。しかし、印刷の実務経験に乏しい出力センターにはその荷は重く、印刷会社はデータの中身に立ち入って作業することにリスクを感じており、腰が引けている。
DTPのグラフィックデザイナーは憂鬱になる。 |
●ポストプレスが差別化のキーになる
しかし逆にいうと、DTPが普及し始めたころの印刷会社の悩みの種は、デジタルで入稿したデータはそのままでは出力できないということであった。たとえばA4/20ページ程度のカラーのパンフレットを全てIllustratorで作成したり、画像の解像度を非常識なまでに高くしたりすると出力に時間がかかり大変だった。
確かにデータを出力できるように作り直したり、チェックしたりすることは手間のかかる作業かも知れないが、それをせずにreturnキーひとつで出力できるデータを要求することは間違っている。それならば出力センターのサービスとなんらかわりがない。
出力するだけであれば、機械があれば誰にでもできる時代である。それだけであれば出力センターに頼んだほうがメリットがある。安くすむし利用金体系もオープンになっている。印刷会社が出力センターの同じスタンスでいるのであれば、付加価値は発生しないし、ビジネスとして成立しないだろう。
印刷会社が生き残っていくには、ユーザーに完全なデータを要求してはいけない。そうではなく不完全なデータでもそれを完全なデータにし、出力して印刷加工していかなくては付加価値は生まれてこない。データを完全にするためにはDTPの知識だけでなく、印刷・加工に知識が身に付いていなければ叶わないのである。印刷の方法や印刷機が異なるだけで、ポジ出力かネガ出力かに決めないといけないし、膜面も変わることがある。トムソンや折り加工が入るとトンボの付け方も一様ではない。印刷物の形状は千差万別なのでその都度のチェックが必要となる。そういったことはデザイナーは熟知できないし、出力センターでは無理である。
印刷・加工に精通するには、それなりのキャリアが必要になる。そしてその部分を標準化することは今のところ不可能に近い。したがって、プリプレスを知るものがポストプレスを身に付けるよりも、ポストプレスを熟知したものがプリプレスを学ぶほうがずっと早い。
ポストプレスは成熟化し、プリプレスも成熟化しつつある。しかしこの両者を確実につないでソリューションを提供できるところは少ない。そしてそれをつなぐには、印刷会社が一番近いポジションにいるのは確実なのである。 |
このコンテンツは1996年6月1日に書かれたものです。 |
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