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第一章 ビル・ゲイツ豹変す
デファクト・スタンダードの風

 ネットワークの時代になって、ソフトウェアは必ずしも売るものではなくなった。メインフレームの時代はソフトウェアはあくまでハードウェアの従属物であって、メインフレーマーにとっては、メンテナンスフィーと並んで、ソフトウェアの変更やバージョンアップはもっと大きな儲け頭であった。大型コンピュータからミニコンにいたるまで、ソフトウェアをハードウェアから切り離さないことで、ソウトウェアの収益率は高かった。というより、一度大型のコンピュータを導入させたあとの、クローズドなソフトウェアはもっとも儲かる商売だったのだ。
 しかしパーソナル・コンピュータの市場では、ソフトウェアはオープンになった。ソフトウェアがオープンになった以上、ハードウェアとソフトウェアを抱き合わせて販売して儲けることはできなくなった。ソフトウェアがオープンになったの同時にハードウェアもオープンになったのだ。

 ハードウェアのオープン化にビル・ゲイツが果たした役割は限りなく大きい。MS-DOSの時代にはOSをカスタマイズすることで(あえて)互換性を失っていたパーソナル・コンピュータは、Windows95になって、ほぼ強制的に互換性を強要された。しかしそのことで、既存のパソコンメーカーの利益は失われたが、ユーザーはパーソナル・コンピュータの大きな可能性をその手に入れることができたのである。
 ソフトウェアが利益を得るためには、ハードウェアのオープン化が必要だったが、メインフレームの時代もパーソナル・コンピュータの時代もハードウェアはオープンな価格で競争するが、ソフトウェアでより確実な利益を上げるという構造はそれほど変わっていったわけではない。以前なら、ソフトもハードも同じベンダーによって販売されていたものが、ハードを売るものとソフトを売るものとが分かれるようになったにすぎない。
 ハードウェアはオープン化によって、販売形態が多様化し、さまざまなマーケティング手法が試みられるようになり、今までは異なったチャネルを開発したところが躍進した。コンパックやデルなどの新興のハードメーカーが続々と現れた。

 ところがソフトウェアは今までのハードウェアとソフトウェアの収益の二重構造をそのまま受け継ぎ、ソフトウェアが二重構造になった、つまりOSとアプリケーションの二つの構造である。
 ビル・ゲイツも当初はソフトウェアは使ったら使った分だけ、使用権を行使すべきものと考えていたはずである。しかし、マイクロソフト社のOS上で動作するアプリケーションを自社で開発し販売すれば、他社のソフトに比べて大きなアドバンテージが得られるのは間違いないことはすぐに分かることであり、しかもすでにカテゴリーができあがってしまったアプリケーションソフトの開発は全くといっていいほど難しくない。だからOSをただ同然の価格で販売しても、アプリケーションがその分だけ売れれば、十分利益を生み出せた。

 彼はきっとそれの発想を任天堂から教わったと憶測するが、マイクロソフトオフィスは、OSを普及させたのちアプリケーションで儲けようという戦略であったに違いない。だからこそ、マイクロソフト社のOS上での、ビジネスアプリケーションの攻防は情容赦ないものになったのである。彼が事実上葬ったアプリケーションソフトのベンダーは、言わばマイクロソフト社にとっては、ある意味ではOSの普及を支える仲間であったに関わらず、彼らのシェアを奪うことで、マイクロソフト社は大きな収益を手に入れたと言っても過言ではあるまい。
 それでも、OSは安くてもいいと思ったにせよ、ただでいいとは思わなかったに違いない。ソフトウェアでのしあがってきたビル・ゲイツにすれば、ソフトウェアをただで配付することは、得心できることではなかっただろう。

 しかしネットワークの幕開けが、どのようなソフトウェアであっても、ただにしなければならないことがあるということを彼に教えた。そしてかれはその事実を速やかに受け入れたのだ。ネットスケープ・ナビゲーターが自由にダウンロードされシェアを広げていく実体を目の辺たりにしたとき、過去の成功体験に縛られることなく、躊躇なく新しい規範を受容したのだ。だからこそスパイグラス社との交渉でロイヤリティの上限設定を死守したのである。
 そう考えると、ビル・ゲイツの「豹変」の仕方は「お見事」と言うしかない。多くの凡庸な経営者が過去の成功体験にしがみつき、時代の流れに合わせて自分自身を変えていけないことに比べれば、ビル・ゲイツの「豹変」は、あまりに的確であったと言わねばなるまい。

 「豹変」と言う言葉は、一般に悪い意味で使われているが、本来の語源からと言うと、必ずしもそうではない。これは「易経」にある言葉で、革命について書かれているところにある。「大人虎変す」とある後に、「君子豹変し、小人革面す」とある。「大人」というのは、為政者のことを指し、天命にしたがって革命がおこり為政者(王様)が変わったら、王様の下で仕えている貴族も同じように変わらないといけないといっているだけで、ただ王様を「虎」と呼んだので、貴族を「豹」と呼んでいるに過ぎない。
 この場合は、(天命にしたがって)支配者が変わったときに、それに合わせて貴族や庶民も変わらねばならないと孔子は説いているのだが、世の中の仕組みが変わればと考えると、その仕組みの中でビジネスをしている者たちも考え方を変えていくべきだと理解すれば、私たちも時代に合わせて「豹変」していく必要があるのだろう。

 ネットワークの時代になって、ソフトウェアをめぐる収益の二重構造は変わらないものの、その在り方は過激になっている。これからは、ますますただのソフトウェアが一気にスタンダードになる可能性がある。つまりデファクト・スタンダードは、フリーによって確立される可能性がもっとも高い。これはあきらかにネットワーク社会によってもたらされた新しいパラダイムなのだ。
 しかし同時にスタンダードになったとき、どのようなビジネスプランを組み上げて、収益を確保するのかということを十分に理解しておく必要があるだろう。スタンダードになるソフトウェアと収益をあげるソフトウェア(もしくは仕組み)とは表裏一体のものであり、両方が有機的に結び付け、スタンダードになることとがそのまま収益を生み出す仕組みを構築することがなくてはならないことだからである。

 新しいデファクト・スタンダードはふいにやって来る。しかもビル・ゲイツがインタネットプラウザーという今までにない新しい概念をリードできなかったように、今までとは全く違った世界から生み出されると思ったほうが間違いない。私たちがそれらを求める限り、それに応えようとする新しい風は間違いなく吹くのだ。
 インターネットブラウザーを世に送りだしたのは、マーク・アンドリーセンであっても、結局それで一番儲けたのが彼が興したネットスケープ社ではなく、ヤフーでありAOLであった。風を作るものが、必ずしもその風に乗れるわけではない。また風に乗ろうと思っても簡単に風に乗れるわけではない。しかし、風を見極めることができなければ、これからのビジネスはありえないのもまた確かなのである。
(1999/07/30up)
「DTP-Sウィークリーマガジン 第17号(1999/03/04)」掲載



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