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当日私の乗った新幹線は、11時20分くらいに東京駅についた。
東京行きの新幹線ではいつも自由席で、しかも禁煙席に座るようにしている。私はタバコは吸わないので、やはり禁煙席でなければならないのだ。昔は自由席では1号車と2号車のみが禁煙席で、エッチラオッチラと16両ある新幹線の一番下りの車両まで歩かなければならない。なぜ嗜好品のタバコを吸う者たちが車両の真ん中に優遇され、吸わないものが車両の端まであるかされなければならないのであろうかと思うと、納得しがたいものがあったが、そのうち5号車も禁煙席になった。できれば5号車と4号車、3号車を禁煙席にし、残る1〜2号車を喫煙席にすべきであろう。
新幹線にのるといつもそういうことを考えてしまうのだが、いずれにしてもいつも下り方向の車両にのっているので、いつも下りる改札は同じで、新幹線の改札口がいくつあるのかは知らないのだった。取りあえずいつも改札までの階段を下り、新幹線の改札口についた。少し早かったのか、寺田さんの姿はなかった。
互いの人相風体はわからない。もちろんメールで互いの身分証明書的写真をやり取りするというインターネット交換日記のようなことはしていなかったし、そんなことは思いもつかなかった。Gordian
Knotをもって、それを目印にしましょう、ということで待ち合わせたのである。
定刻の11時半を過ぎでも寺田さんらしき姿を見いだすことはなかった。ひょっとすると改札を間違っているかも知れぬ、思いつつ改札のオッサンに[新幹線中央口]という改札はどこだと聞くと、そういうものはないという。新幹線の出口は六つか八つあるらしいのだが、[新幹線中央口]というものはないという。しかし今いるところは西側であって、中央でないことは確かなようであった。
ここで私が失敗したのは、改札を出てしまったことであった。いったん改札を出て他の改札を探そうと思ったが、もしお互いに探し回っているとしたら、巡り合える可能性は低く、それならばこの改札が間違っているとしても、ここで待っているほうがいいかも知れないと思った。あんまり関係ないが、砂漠で遭難したとき、もっとも助かる可能性が高いのは、遭難した場所でじっとしていることである。じっとしていると、きっと誰かが探してくれるうえ、体力は消耗しないのだ。しかし、救助を求めて砂漠をさまようと、それこそ場所がわからなくなり、助けが現れるまでに体力が消耗して本当に遭難してしまうのである。
そのうちしびれをきらして翔泳社に電話をした。寺田さんが東京駅にいるのは確からしい。
「寺田さんってどんな人ですか」
人相風体が多少でもわかればいいかとおもって聞いてみたら
「小柄な方ですよ」
といわれてしまったが、何だそれでは何もわからないではないか、聞いた私が馬鹿だったと思い、「そうですか、わかりました」といって電話を切った。
仕方がないので、大急ぎで[新幹線中央口]とおぼしき改札のいくつかに回ってみたが、そこで待ち続けている寺田さんらしき人は見かけることはできず、また元の改札に戻ってきた。時計をみると、何と待ち合わせ時間からもう1時間以上が過ぎていた。のっけからのこの不運な邂逅は一体何なのだ。ひよっとするとこのまま寺田さんに会えず「Adobe
Illustratorお茶の子サイサイ」のときと同じように、今回の出版話も桧舞台に立つこともなく、終わってしまうのか。やはり私は「出版」と縁がないう運命なのであろうか、なとど考えていると、改札の向こうに片手にGordian
Knotを持っている寺田さんがいた。私もGordian Knotを掲げ、互いにその存在を確認したのであった。
私は改札の外を、寺田さんは改札の中を彷徨っていたらしい。
「改札の中で待っていてくださいとメールに書いたでしょう」
といわれた。そういえばそう書いてあったかも知れぬ。
「申し訳ない」
と平謝り。事前に[新幹線中央口]を確認すべきであった。寺田さんが待っていた[新幹線中央口]は東京駅の八重洲の中央口(だったと思う)にある改札であったらしい。1時間を越える東京駅の彷徨を経て、私は「執筆のご依頼」メールのご当人に巡り合えたのであった。
考えてみれば、インターネットでメールをやり取りをした中で、オフラインで会うのは寺田さんがはじめてであった。「オンラインのみの関係からオフラインの関係になるというのは、不思議な気分やなあ」と感じつつも、電話でしか話をしたことのない人と、はじめて会うときとどう違うのだろうかとなとど思いつつ、取りあえずシーボルトの会場に行こうということになったのである。 |
このコンテンツは1997年9月16日に書かれたものです。 |
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